小市民の声置き場。

わたくし、世界的小市民ピエール八木澤が、大市民になるために小市民発言はリアルでは控えます。しかし、それはそれでストレスが溜まるため、こちらに吐き出します。デジタルガジェット、WEBマーケティング、集客、府中アスレティックFCが好きですが、典型的な雑記ブログです。

2022年を振り返る

思えば昨年は一度もブログ投稿をしていない。

Twitterではくだらないことをダラダラ書いているし、Facebookもいまだに続けているが。

 

自分にとっても2022年は、まあそれなりに良い1年だったと思う。

自分自身は健康で怪我や病気もなく、妻子も健康で元気だ。

 

ただ、ついにというか父親が亡くなった。自分の親兄弟が死ぬというのは初めてだ(妻の両親、姉はこの5年で相次いで亡くなったが)。

 

春くらいに、母親から「癌が再発転移して緩和ケアで」という報せを受け、6月に妻子を連れて会いに行った。高齢、病気があるということもあり、コロナに対して恐怖心が強い母親からは会いに行くことを断られていたが、もう最後だろうしと見舞った。

 

そして3週間後、安倍晋三が凶弾に倒れた日の朝、眠るように亡くなった。

その日私は午後から大分出張の予定だったので、朝シャワーを浴びて出ると母親から着信。父親が亡くなったことを知らされた。

大分は1泊予定だったので翌日東京に戻ってから京都に行くことも考えたが、バタバタなので出張を取りやめ、翌日京都へ行きお通夜。翌日は葬式ということとなった。

80にはわずかに届かなかったが平均年齢に近い人生であり、高卒ながらそれなりに出世もして亡くなる半年前までゴルフをして自分の最終プレー時のスコアがあわやエイジシュートの80ということで、良い人生だったと思う。

私もどうにか3人の子供に恵まれ、孫を抱かせることも出来たし、大学・中高生と成長する姿も見せられたので良かったと思う。

 

父親が心配するとしたら、自分の死で争続が起こることだが、私は東京で生活しているし、カネに困っていないことはないが遺産を当てにすることはないので、家族仲良く安心してと言った。

 

遺言状で母親に全てが相続され、将来母親が亡くなっても実家は兄が相続して住み続けるということになることを了承している。そこを売って3兄弟で分けても仕方ないし。

 

葬式や火葬のとき、もちろん悲しかったし少し涙はでたが、不思議と号泣はしなかった。やはり20年以上離れて暮らしていることと、春に聞いて覚悟が出来ていたこと。

そして何より「父親は自分の人生に満足しているだろう」と思っているからだ。

 

これが不慮の事故や若くしての死であれば、本人の無念を思い、悲しさも大きくなると思うが、前述の通り本人も良い人生だったと満足しているだろうし、私も悲しさはそれほど無かった。むしろ感謝の気持ちがほとんどだった。

 

仕事は色々と変化がありました。

担当している法人が分裂したので、単純に倍に増えた。そして新法人の仕事を多く手伝うようになったので、やることや責任も増えたが報酬も増えたので問題はない。

来期も継続するがどのような関わりにするかはこれからまた考える。

 

宿泊業は、そこそこ順調だった。2月は悲惨な数字で、給付金対象となったが3月以降は右肩上がりで昨対を大きく上回る月もあった。

コロナの影響で宿泊は大きな影響を受けていたが、色々と手を打ったことが壮行したこと、サウナブームのおこぼれをというか2年半前から仕込んでいたサウナサービスがかなり忙しく、予想以上の売上を作ってくれた。法人としては過去最高の売上を計上でき、黒字決算で終えることができそうで(1月決算)ほっとしている。